ですから司法の立場でも防止を考じていて、検察の控訴権を制限したり、証拠物の不正取得(捏造は論外)があったらすぐ無罪言い渡したり、というシステムなどです。(これらは残念ながら日本の話ではありません)
また、それは死刑制度にも反映されていて、イギリスやフランスでは冤罪による死刑執行によって死刑制度が廃止されました。
「冤罪」を最大限に防ぐことは市民のそして国家の責務だと思っています。
では、「冤罪との関わり方」はどのようにすればいいのでしょうか?
私見を述べます。
1 真犯人を探すことを目的としない。
丸正事件をどう評価するかだと思いますが、それを「目的」とすることは混乱を招くと思います。真犯人の策略があった八海事件や結果として真犯人が判明した弘前大学事件など、確かに真犯人の存在は大きいと思いますがそれを「目的」とするには抵抗があります。
2 裁判所が認定した事実を再検討する。
有罪決定には多くの「認定」が存在することが普通です。
そのひとつが「否定」されればそれでいいのです。
総合評価ではありません。(時として自由心証主義から「総合評価」のような判決がありますが)
裁判は文書主義なので、字面ですんなり通っても実際にはありえない事象がある可能性があります。例えば八海事件で「被告」達が出会った起序も人形を使った実験をすればそれが不可能であることがわかりましたし、名張毒ブドウ酒事件でもニッカリンT(農薬)を白ブドウ酒にいれるとどうなるかは実験をするまで分かりませんでした。
恵庭冤罪事件で認定された「事実」
1被害者を殺害したのは被告である。
2殺害後、被害者携帯電話から発信したのは被告である。
3被害者携帯電話をロッカーに戻したのは被告である。
4被害者ロッカーキーを保管下においたのは被告である。
5被害者遺品を焼却したのは被告である。
6被告人車両に積載されていた灯油とライターによって被害者焼却がおこなわれた。
7アリバイは成立しない。
2005年6月16日追記
弁護士、検察、裁判所、市民等多くの人が事実の究明に努めるべきです。刑事裁判は「勝ち負け」ではありません。犯罪の減少を目的にすべきです。しかし、冤罪を防ぐ事は何よりも優先する命題だと思います。
暴論を覚悟で言うなら、多くの真犯人を逃しても一人の冤罪被害者を作ってはいけないのだとおもいます。
有罪を判定するには以下の要素があります
動機
凶器(道具)
実行(場所)
これらの要素に関する情報を検討・分析していただきたいと思います。推理小説を読むように可能性を追求するのではなく、証拠から事実を見つけていただきたいのです。
是非多くの皆さんに事実を積み重ねてお考え戴きたいと思います。そして一人の冤罪被害者も作らない努力をしていただきたいと思います。