最高裁へ署名提出
2004年11月20日に最高裁判所へ全国から寄せられた6359名の署名の提出に同行いたしました。最高裁は原則的に書類審査のみなので、少なくとも弁論を開くこと、証拠調べをすることを願った署名です。
午前11時に最高裁の東門に集合したのは、その朝札幌を発った上告人団長と支援する会事務局長、東京から支援の3人の計5名でした。文書受付のカウンターで団長がアトゥシを身にまといサパンぺを頭にのせ、前日まで速達で寄せられたという署名を事務局長が提出しました。カウンター内の多くの係官が団長の衣装を執拗な眼差しで凝視しているので、ゼッケン・スローガンの類と判断され規制されるかと危惧したのですが、どうもそれ以前の問題で「珍奇なるものを見る」目だったようでした。
多くの方の気持が最高裁に少しでも伝わるように願ってそこを後にしましたが、入る時にカメラが持ち込めなかったためその様子を撮影できなかったことは誠に残念でした。
外に出ると小雨が降っていて、私が生憎の天気ですね、と団長に問うと団長は「エカシ、フチ達が見ていてくれるようです」とおっしゃった。
東京司法記者クラブにて記者会見
その後、霞ヶ関の東京高等裁判所へ移動し、高裁内の司法記者クラブでの記者会見に臨みました。幹事社の共同通信社をはじめ8社ほどの新聞社の記者が出席し、ジュネーブに持参した横断幕の前で発言し共有財産裁判判決の欺瞞性や歴史的な考察の必要性を訴えました。
記者からいくつかの質問があり約束の30分で閉会しました。
外国特派員協会にて記者会見
今度は有楽町に移動し、外国特派員協会の記者会見がありました。サイエンス誌、ドイツフィナンシャル誌他3名の参加と参加者数は少なかったのですが、共有財産やアイヌ民族の人口についてなど、質疑応答は活発で関心の高さがうかがえその時間は1時間を超えました。
最後に横断幕の前で記念撮影をしました。
東京集会
最高裁への署名提出の翌日、銀座教会にて「アイヌ民族共有財産裁判を語る東京集会」が87名の参加をもって開かれました。
司会の「共有財産裁判はシサム政府の問題であり、さらなる民主化の足がかり」という発言から各原告や北海道からの支援者の発言がありました。
A「高裁で管理の杜撰さを認めさせたことが成果。最高裁はアイヌ民族の辛苦を評価すべき。上告理由書を今回の裁判の決算とし思いを込めた。東京集会をひとつのステップとして最高裁に迫りたい」
B「二風谷の両側にはアイヌの聖地のチャシがありダム判決はそれを破壊したことは文化享有権を奪ったと認定した。この判決を継承し闘わなければならない」
C「(アイヌ語にて自己紹介)公告の中で教育資金と色丹が私に該当すると思ったので手をあげた。教育資金は全道ということなので何人かに声をかけたが誰も手をあげない。父母がラッコ、ギンギツネ、テンなどの毛皮資源の監視員をしていた関係で生まれはウルップ島であり色丹に関しては権利があるのではと手を挙げた。本来共有財産にはカラフトや千島のものもあるはずである。裁判は負けるかもしれないが、いよいよ闘う時がきたと思っている。かつてエカシから聞いた「言葉はトリカブトの毒より強い」という言葉を実感している。この裁判は日本人の問題ではあるがアイヌ自身がどう考えどう取り組むかが重要だと思う。東京という中心で集会がもたれた意義は大きい」
D「知床の世界遺産候補の過程でアイヌ民族に相談がなかった。現住していないから相談しなくていいという道の見解は納得できないし、アイヌ民族抜きで認めさせるとますますおかしくなる。ニュージーランドのマオリ民族がワイタンギ条約で地域管理権を回復したが、それに相当するものがなくシャケを獲れないなどへんである。裁判はおおきなチャンスで同時に色々なことを進めることが大事。マオリも一枚岩でないし多民族であるので、アイヌ民族も力を合わせられないということはないと思う。」
E「官報にある幕別の原告となった。なぜ原告が18人しかいないのか疑問。アイヌ民族は差別や収奪で貧困に貶められ知識もないので官報を見ることがない。たとえ知ったとしても、手続きのために交通費がかかったり仕事を休まねばならないので困難である。それは共有財産の金額の低さに関心を失ってもいるからである。道から何度も返還のサインをしてくれと言われたが、現在の貨幣価値であるのでサインはしなかった。日本人はほとんど知らないであろうから是非知って欲しい。18名は自分達の利益ではなくアイヌとしての権利を主張している。支援してください。」
F「小学校の二階の教室を軍隊に接収され、一階のみとなったため三年生以下は昼まで4年生以上は昼からとなった。援農に行くので昼からの学校にはほとんど行けなかった。コンブ干しやイカ漁は3年生からやっており、現在も読み書きで大変苦労している。当時教育資金で教育がされていたら、教師や裁判官や議員を輩出していて全く違った世界があったと思う。それを思うと残念でならない。その気持から原告に加わった。」
G「薄野で生まれたが結婚する時にはじめて本籍が樺戸郡新十津川ワッカウェンぺツであると知り、そこに共有財産があるとテレビのドキュメンタリーで知った。ワッカウェンリツ(悪い水)は名前のとおり悪い場所でアイヌ民族をそういう所に追いやった歴史があり、それに対し矛盾を感じた。沖縄は迫害があったが土地を失わなかったので伝統や言語が残ったと思う。アイヌ民族は、土地も言葉も奪われた。」
H「情報公開資料を読んだ一人です。共有財産は「知事が現に管理している」ということになっているが、調査はほとんど行われていない。全道旧土人教育資金の知事指定日は昭和9年であるが、旧法指定は明治32年に6206円であった。昭和9年でも6206円であるので利息が全くない。明治33年の小学校教員の初任給は10円であった。幕別では明治35年に現金、株券、漁業権、海産干場(土地)があったが昭和6年には現金のみとなっている。現金以外のものがいつ誰にどうやって譲渡されたか記録がないので信用できない。この公告一覧は昭和33年に作られた管理状況明細書が元になっているのだが台帳は昭和10年から19年までのものが残っているのみで、それ以前は何も無く、歴史の彼方に隠蔽されている。」
I「資料はマイクロフィルムで16000コマほどあるがまだ三分の一位しか目を通せていない。いままでアイヌ民族がおとなしかったかというと必ずしもそうではなく旭川では激しい闘いがあった。新井源次郎の請願書は水準が高く権利意識がしっかりしている。昭和10年の話し合いで権利要求の諸問題が出尽くしている感があるが道はその経緯を無視した。十勝川の共有財産では河口の一番いいところをアイヌがもっていたが奪われ、その返還運動をやっている。原資料が全く研究されていないという問題もあり、今はほんの入り口だと思う。漁場を失ったことなどを明らかにしたい。」
弁護士「弁護士になる前から関わっていた。この裁判は返還公告に対し権利者に返すという決定を取り消せ無効だという訴えである。一審は訴えた権利者の存在は認めたが返還は当事者にプラスであるので「訴えの利益がない」と判断され、それは二審でも貫かれた。「現に管理している」の「現に」は新法でいうところの「現に」であるが、「現に管理しているべき」と言っているのではないか、ということが上告理由のひとつとなっている。最高裁で敗訴となってもそれだけでは終わらないと思う。」
J「今まで天皇や政府からなんら謝罪がない。差別図書裁判をやっているが、400名近いアイヌの記述があるのに原告は4名しかいない。共有財産裁判に関しては旭川は特殊であり、負けたとしても土地に関して独自で闘いを続けていきたい。」
K「勇払郡の共有財産を闘っている。1999年10月に第1回の陳述をし2004年3月に最後の陳述をした。「子供達に足跡を学び取って欲しい、リーダーになってほしい」と言った。娘たちが同じことを訴えている姿を見たくない。負けても闘える学習をしたい。益々エネルギッシュに活動したい。力を貸して下さい。」
L「心ある人たちは私たちに応えてくれると思う。父が戦死したため共有財産の「豆」がなかったら大きくなれなかった。その共有財産は公告の一覧にはない。」
M「分家であるため権利がないと道から言われた。十勝アイヌである母と二人暮らしで道から母に何度も電話があり、母から原告となることはやめたほうがいいと言われたが、アイヌ民族の奪われた権利を主張することは私ひとりのためではないと説明し、理解してもらった。先祖が守ってくれた文化や伝承を媒体として受け継いでいけたらいいと思っている。旭川独自訴訟をも視野に入れ、真実を人に伝えていきたい。」
原告達の発言を受け会場からも活発な発言がありました。
N「共有財産はカナダ・ニュージーランドにはない。カナダは19世紀は敗訴ばかりだったが1950年代から魚を獲る権利を認められ、それが積重なってきた。ニュージーランドやオーストラリアでは先住権が確立している。だから、共有財産裁判も今回限りではない。オーストラリアでは先住民に関する条約がないためマーボ判決から無主地という概念がなくなった。ニュージーランドと違って条約からの法的根拠がないところから権利を認めさせたオーストラリアを参考にすべきである。研究者の力不足、マスコミの関心不足が大きな課題である。マイノリティーはマジョリティー次第で、マジョリティーの後ろ盾が必要である。この裁判が勝ったとしても出発点である。そのつもりで側面からの応援をしたい。」
O「カナダでは1984年に「国家は先住民に最高度の信義をつくす義務を負う」という判決を最高裁が出した。裁判所は、政府が先住民の土地を75年間ゴルフ会社に貸していたことに関し、その間の補償命令を出した。共有財産はアイヌ民族は自由に利用できなかったのだから似ていると思う。アイヌ民族に利益があるような管理が道庁に求められる。先住権にカタチはない。裁判や政治闘争の中で積み上げ、先住権の中身をつくっていくということが重要。上告は第一歩で、二風谷の第2ステップである。」
P「近代アイヌ研究は始まったばかり。釧路の春採など都市部からの強制移住の問題があきらかになっていない。新法は文化の面だけで不十分であるが、運動があったからできたと思う。だから運動しないと、闘わないと獲得するものはない。」
その後会場から質疑応答があり、漁業法、外国人の学習権、人権教育等の研究者専門家各氏の発言があり閉会となった。